魚釣り。シンプルだが奥深い水の娯楽。その起源は少なくとも約4万年前の旧石器時代まで遡ることができるという。大学のクラスメイトや友達をはじめ釣りが趣味であるという人は少なくない。
宇久は福井県小浜市にある漁村で、エンゼルラインの麓にある。当日、予報では雨の可能性もあったが、幸運なことに傘の出番は無く、雲が直射日光を遮る過ごしやすい天気だった。メンバーは福井県立大学の学生と教員、講師陣合わせて計11人。また、特別講師として浦谷俊晴(うらたにとしはる)さんが来てくださった。昨年の2023年9月ごろまでこの地で旅館を経営していたが、今は漁師一本に専念している。魚については青二才な私たちに、一つ一つ丁寧に教えてくださった。
学生のうち半数は初心者だったため、まずは釣り竿の使い方から教わった。アオイソメという虫を針の部分にしかけ、餌として利用する。最初は触るのに抵抗があったが、回数を重ねる内に慣れることができた。今回は、胴突きという針に餌をつけて海に落とすだけのシンプルな方法で行った。エメラルドグリーンに透き通った海だったので、針を落とした時の魚の集まりがよく見えた。沢山群がっているように見えても巻き上げたら何もいない。テレビなどでは簡単に見えていたが、やってみると案外難しいものなんだなと思った。
堤防でレクチャーも含め1時間半程度釣り。その後浦谷さんが船を出してくださるということで船釣りへ。波と一体化したように揺れる船から釣りをするのは未知の感覚で面白かった。ピンと張った釣り糸に魚の食いつきがブルブルと伝わり、リールを巻き上げながら感じる、投げ入れた時とは明らかに違う質量。いざ引き上げてみて魚がついていた時の興奮は、今でも鮮明に思い出せるほどだ。ちなみに、このトップ画像は私が釣ったキジハタ。口を持つと比較的暴れないらしい。実際写真を撮れるくらい大人しかった。

釣った魚は浦谷さんに調理して頂いた。私も微力ながらお手伝いをさせてもらった。あまり料理をしないため、包丁を握ることすら少し緊張していたが、どこを切ればいいのかなど、浦谷さんに丁寧に教えて頂いた。魚一匹の大体半分くらいの位置でえらを切るのだが、これがそこそこ固く、最初は本当に切っていいのか戸惑った。そのうち段々慣れてきて迷いもなくなっていき、作業も早くなってきたように感じていたが、私が1匹捌く間に浦谷さんは4匹ほど捌いており、その速さに驚愕した。外でみんなが釣った魚を捌いた後は、旧旅館のキッチンに入り、事前に用意してくださっていた魚の調理に移った。

まずはヤガラの調理から行った。皮をはぐ作業を行ったが、皮と身を持って裂くようにやるときれいに剥けた。浦谷さんは鯛の調理をしていた。手で塩を取り、指の間から落とすことで塊となった塩が落ち、あら塩のようになるという。洗い物をしている間、白身と皮が焼ける香ばしい匂いに、オーブンで焼き上げられている鯛の出来上がりを今か今かと眺めていた。

旅館を経営していた時は料理人としても働いていた浦谷さん。そのコツを聞くと、新鮮さだけでなく美味しくなるタイミングも考えながら出していると仰っていた。さらに、「でも最後は気持ちだよ。愛が必要。どんな料理も愛があれば美味しくなるよ」とも仰っていた。気持ちが美味しさに繋がるというのは、こういった気遣い一つ一つが積み重なった結果なのかもしれない。
実際、浦谷さんの作る料理は絶品だった。小浜でとれる食材は美味しいものが多い。それ自体が持つ美味しさは勿論あるが、それに携わる人たちの気持ち、”愛”がその味を作り出しているのかもしれない。ここでヘレンケラーの言葉を引用する。
“あなたは愛に触れることができませんが、それがあらゆる物に注ぎかける優しさを感ずることはできます”
生活の中にある愛を探しながら、それを感じていきたい。

福井県立大学 種子田夏希
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