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『会ってみたいに、あ!ってみる』小浜の暮らしと文化に触れる新しい観光

暮らすまちを案内する。都市部に暮らしている頃は、美味しい料理店や面白いものを揃えている雑貨屋、幼い頃から通っている神社、息抜きのできる河川敷、それくらいだった。どこも個人的な思いが強い主観的まち案内。そもそも、まちを案内するなんて考えたこともなかった。

2025年3月に小浜市で開催した『A!TTEMIRU WAKASA』は、まちの暮らしを豊かにする文化を作り、支える人たちに“会ってみる”をコンセプトとしたツアー。企画運営に関わらせていただいたのだが、個人的には約10年続けてきた地域の暮らしに目を向ける企画の集大成のようなものとなった。

小浜の朝の日常であり、最も熱い現場である福井県漁連小浜支所での競りも、暮らしのひとつ。

『A!TTEMIRU WAKASA』の原点

遡ること2011年。大阪で開催された「農家アート祭」というイベントで、“かっこいい農業”をアーティストが表現するという見たことのない世界を目の当たりにした。
滋賀県湖北地域で農業を営む若手農家グループ「konefa」と関西で活動するアーティストがコラボしたアートイベント。今となっては珍しくない企画かもしれないけれど、当時は違った。
その主宰となっていたのが、写真家のMOTOKOさん。くるりやUA、BLANKEY JET CITYなど、ぼくの好きなアーティストのジャケットや広告を撮影する第一線のアーティスト。

MOTOKOさんが2007年から取り組んだ、滋賀県長浜の農村を舞台にした『田園ドリーム』より

そのMOTOKOさんとは、2014年から長崎県東彼杵町での「写真によるまちづくりプロジェクト」に始まり、北は北海道の釧路市阿寒町から、今暮らしている福井県小浜市、滋賀県長浜市、佐賀県などでローカルフォトのプロジェクトをご一緒している。
MOTOKOさんが提唱されるローカルフォトとは、「写真でまちを元気に!」をスローガンに、地域の人々の暮らしや文化を写真に撮って発信し、観光や移住に繋げる住民主導の活動のこと。

なぜ、その写真家が「農家アート祭」のような企画をしていたのか?
MOTOKOさんは1996年にデビューし、東京での音楽や雑誌、広告等の商業写真を中心とした仕事をされていた。しかし、2000年代のカメラのデジタル化やSNSの普及による写真の民主化により、従来のカメラマン業界が急速に縮小していく中、クライアントワークに依存しない、新しいプロジェクト型の働き方を模索していた。
そんな時、東日本大震災が起きたことで『課題解決の写真』という新たな写真の方法を思いつき、地方地域に向かった。都市への一極集中が進み、地域格差が広がる中で、MOTOKOさんが光を当てるべきだと感じたのは、タレントや著名人ではなく、地方で地道に活動する人々、いわばローカルヒーローだった。

一番左がMOTOKOさん。真ん中が筆者。2015年に開催した「写真によるまちづくりプロジェクト」展示会

“写真”という地域を変える魔法

写真家に必要な能力は、その時代、その場所、その人に何が大切なのか見極める目を持つことだとMOTOKOさんは言う。だからこそ、ローカルフォトのプロジェクトではリサーチが何よりも大切。何が大切とされてきた地域なのか?守っていくべきものは?固有文化や歴史、その地域らしさとはなんなのか?
そこに住民や外の人がカメラを持って訪れ、自らが感動したことを写真で残し、伝えることで視点や見方が広がり、地域の課題解決につなげる。参加者や被写体のシビックプライドを醸成することは、新たなチャレンジや地域経済の活性化など、きっかけづくりには欠かせない。

東彼杵町の米農家を撮影するMOTOKOさん。被写体へのリスペクトが写り手をどんどん格好良くする

今では当たり前となった、地方の人々の暮らしの発信。しかし、約10年前はローカルフォトのような「地方×クリエイティブ」という視点そのものが珍しかった。カメラの役割は、ただ被写体を美しく切り取ることにとどまらない。写真は新たな視点を生み出し、「殺風景」を「名所」に変え、地域で働く人々を「ローカルヒーロー」として浮かび上がらせる。そして、写真は人々の意識に働きかけ、価値観や行動様式を変える。
かつてはプロだけが扱っていた「写真による価値創造の力」である“写真の魔法”。ローカルフォトプロジェクトを通して地域の暮らしに目を向け、発信することで、関係人口の拡大や移住の促進など、自らの手で地域の未来を変えていく。

MOTOKOさんの撮影したくるりのベスト盤『TOWER OF MUSIC LOVER』のジャケット写真。一枚の写真がものの見え方を変えてしまう、まさに写真の魔法を感じた出来事だった。

若狭の暮らしに会いに行く

『A!TTEMIRU WAKASA』は、1日目に発酵コースと伝統工芸コースに分かれ、2日目の午前中に小浜の食文化の中心地である川崎エリアを散策した。
小浜の暮らしを案内する時、“食と文化”は欠かせない。御食国としての歴史と食のまちづくり条例、難しいことは言わずとも豊富で美味しい食材。そして、美しい風土を図案化した伝統工芸「若狭塗」。この小浜の誇る「美しもの」を堪能する。そこで大切なのは、文化を作り支える事業者や職人だ。

今回のメインビジュアルとなっていただいた「民宿佐助」の森下佐彦さん。

発酵コースでは「民宿かどの」の角野高志さんと「民宿佐助」の森下佐彦さん。伝統工芸コースでは「古川若狭塗店」の古川勝彦さんと「伊勢屋」の上田浩人さん。川崎エリアでは「福井県漁連」で若狭湾の海産物が集まる競りを見学し、市場で朝食。日本海側の漁業を支える造船場「ニシエフ小浜」でそのスケールに圧倒され、全国で人気の焼き鯖すしを「若廣」のスタッフと一緒に作ってみる。

小浜市の認定されている日本遺産「御食国若狭と鯖街道」は、昔話ではない。鯖街道の交流文化によって発展した水産加工技術や和食文化、その象徴とも言える箸と若狭塗に関わる人に会いに行くことができる。従来型の観光とは違い、人生で一度の絶景や大型施設に頼るのではなく、小浜で営まれている当たり前の暮らしに光を当てる。これこそが小浜らしさを体験する旅となり、観光となる。

参加者と作る小浜の未来

今回の参加者は、東京や隣県、嶺北などから「小浜にあってみよう!」と思って来てくれた方13名。アンケートには「訪問先の現場や職人が近く、直接コミュニケーションを取ることができて、また会いに行きたい」と言うようなポジティブな意見を多くいただいた。
そして、ツアー中は参加者と地元事業者が、仕事のことだけではなく小浜の日常の暮らしや、地元が抱えている悩みなどの話をする場面もあった。このようなツアーは、大人数を受け入れることはできないため、目先の経済効果としてのインパクトはない。しかし、地域らしさを作る魅力と相反するように存在する技術伝承や担い手不足などの課題に目を向け、多様な方に触れてもらう貴重なきっかけとなる。

課題は見て見ぬ振りをするのではなく、多くの人に見てもらい、知ってもらうことで解決の方法が見つかるかもしれない。目的地の目の前で大型バスを降りる消費的な観光ではなく、まちを歩き、コミュニケーションすることで、訪問者と地元住民が共にまちの未来を話し合う。地域らしさの価値に目を向け、触れてもらいながら、課題解決の仲間作りをする。小浜には、今回訪問できなかった大切にしたい魅力が、まだまだたくさんある。

小浜市民にとっての日常も、誰かの非日常となる

「こんなに、他の参加者と仲良くなれたツアーは初めてでした」とアンケートに書いてくださった方がいた通り、敦賀駅に送り届けるバスの車内は、誰が友達同士で来た人か分からないくらい皆さんが仲良くされていた。そして、下車される際には「また、小浜に行きますね!」とほとんどの方が声をかけてくれた。

自分の暮らす大好きなまちの日常を紹介して、誰かに喜んでもらう。そして、そのつながりから新たなものが生まれる可能性を創出する。ローカルフォトには、カメラと写真が必須なわけではない。訪れたまちらしさに目を向けて、しっかりと見て、触れてもらう。一人で悩むのではなく、一人でも多くの視点でまちを見て、課題を多角的に感じる。
今回の『A!TTEMIRU WAKASA』は、ぼく自身ももっと皆さんに紹介したい小浜の魅力にあっ!てみたくなる、そんな勇気と可能性をたっぷりと感じさせてくれる旅だった。

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堀越 一孝

堀越 一孝

フォトグラファー。デザイン事務所UMIHICOの代表。

1982年神奈川県川崎市出身、小浜市在住。 小浜の伝統産業である塗箸の老舗「株式会社マツ勘」で商品企画や広報を行いながら、デザイン事務所UMIHICOの代表をしています。 本職は、フォトグラファー。2014年より写真でまちを元気にする新しい写真の方法『ローカルフォト』を核としたプロジェクトで日本各地をぶらぶらしています。

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