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外観は、みんなのもの。小浜西組の町並みと、村松建築 〜村松徹哉さん〜

遠回りして気づいた、家業の価値。

「ほんまは、家業を継ぐつもりは全くなかったんですよ」

小浜西組の鹿島にある株式会社村松建築の事務所で、四代目の村松徹哉さんは最初にそう話してくれた。創業は1923年の大正12年。曽祖父がこの地で始めた仕事を、祖父も父も継いできた。その背中を見ながら育ったけれど、自分がこの道に進みたいと思ったことはなかったそうだ。

「家の仕事では、町家やお寺を直したりとか、古いことばっかりやってたんで、嫌やったんですよ」

当時の村松さんがやりたかったのは、デザインだった。ただ、Windows95が出たばかりの頃。小浜にデザインの仕事はほとんどなく、やるならまちを出るしかない。迷っていた村松さんに、お父さんがこう言ったそうだ。

「建築もデザインや」

事務所の棚には、仕事のファイルと並んで、デザイン系の本や趣味で集めているレトロなものが置かれている。

進んだのは建築科。卒業して勤めたのは、滋賀県で小学校や病院などを手掛ける、大きな工務店だった。コンクリートや鉄骨の現場を数年経験したあと、100人ほどいる社員のうち4人しかいなかった木造建築の担当を選んだ。

「なんだか、見てきた現場から機械的で無機質な感じを受けたんですよね」

配属されたのは、東近江市の永源寺という地域。20年ほど前の当時、そこでは新築を建てるときにも土壁の家を建てていた。条例も法的な縛りもないのに、土壁が当たり前という空気があったそうだ。そして、クレーンが入って構造が組み上がる立ち舞いの日。村中の人が、仕事を休んだという。

「手伝うわけではないんですよ、作業できないので。ただみんな腰袋下げてきて、やる体で来るんですよ。一緒に手伝いますよっていう感じで」

土壁で建てられる新築住宅。(写真提供:村松さん)

腰袋を下げて、お酒を持って、集落の人が集まってくる。お祝いと書かれた一升瓶が、10も20も並ぶ。ただその日を一緒に過ごすための文化なのだそうだ。

「こんな文化がまだ残ってるんや、と思って」

昔からやってきたことのほうが面白い。そう感じたとき、それが自分の家の仕事とよく似ていることに気づいた。滋賀で7年働き、13年前、20代後半で小浜に帰ってきた。

滋賀時代の村松さん。(写真提供:村松さん)

外観は、みんなのもの。

村松さんが小浜に帰ってくる数年前に、小浜西組が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。それ以前から、父親は小浜の町並みを残す仕事をしていた。補助金があるわけでもなく、決まりもない、その地道な活動が、今につながっている。

「家は当然お金かけて建てるんで、家の中は施主のもの。外観はみんなのものっていう発想があるんですよ。30年40年、風景の一部になるじゃないですか。外観は自分よりも、他の人の方が見る機会が多いですからね」

この言葉が成り立つのは、ここに人が住んでいるからだ。だれかの家であり、同時にだれかの毎日の風景でもある。だから外観は、自分だけのものではなくなる。

外観をそのままにしておくことは、面倒でもある。道は細く、車を停める場所もない。合理的にするなら、外壁をセットバックさせて駐車場にしてしまえばいい。それをしていない家が、この地区には並んでいる。

ベンガラ格子などが残り、人が歩くことを優先した風情を感じる三丁町も小浜西組の一部。(写真提供:村松さん)

なぜ、残ってると思いますか。

保存地区になれば建物の復原工事には補助金が出る。それは分かる。でもそれは17年前からの話で、それ以前からずっと、この町並みはここにあった。理由はいくつも重なっているそうだ。

「そもそも物理的なことで言うと、地震とか津波とかの自然災害がなかった。今建ってる家って100年近く、150年近く前の建物ばっかりなんですよ。空襲にもあってない。都市開発もされてない」

そして村松さんが挙げたのが、祭りだった。

「僕は、祭りがあることも大きな要因のひとつだと思っています。放生祭で各区に本陣って言われる場所があるんですけど、本陣をするためにはそれなりの表構えが必要なんですよね。現代風のドアがついてたら格好悪いし、やっぱりガッと開け放たれたら、まずそこに座敷がないとあかん。本陣になるって、今で言うと大変なことなんですけど、誇りに思ってる人もいるんですよ」

鹿島区の本陣。(写真提供:村松さん)

持ち回りである以上、自分の家を残しておかないといけない。そしてもうひとつ、もったいないという発想が強いのだと村松さんは言う。代々住み継いできた家を潰すという気持ちには、ならないのだろう。

「福井県の中でも重伝建地区は小浜西組と熊川宿と今庄宿と3つあるんですね。それぞれ同じような時代の建物が並んでるんですけど、気候や用途によって造りは全く違う。だからその土地にしかない建物のデザインっていうのが、重伝建地区の数だけあるということなんですよ」

西組の町家は、間口が狭くて奥行きの長いうなぎの寝床のような造り。防火のための袖壁、今はもう生産されていない若狭瓦、そしてベンガラ格子。伝統的建造物に特定された278棟は、全国で5番目に多いそうだ。

袖壁は、火災の際に隣家に火が燃え広がらないようにするためのもの。若狭と越前では形が異なるそうだ。(写真提供:村松さん)

職人が、歩いてくるまち。

「もう一つ大事なのは、これを直す人」

そう言って村松さんが話してくれたのは、このまちの仕組みだった。

「左官屋さんとか建具屋さんとか、電気屋さんとか水道屋さんとか、家にまつわるすべての職人さんがみんな西組に住んでいるんですよ。近所の職人さんはみんな歩いて現場に来ます。今の時代でも」

職人が必ずまちにいるという仕組みは、中世でもう終わっている。市役所の方からそう聞いたと教えてくれた。車がなかった時代は材料も道具も運べないから、各地域に職人が必ずいた。それが西組では今でも続いている。

「衝撃やったんですよ。ほんまにこの地域の人たちだけで家はできてるって。だからこそ、他からデザインが入ってこなかったんです。大工さんの癖であったりとか、建具屋さんのデザインが残ってる。その土地にしかない建物っていうのは、そういうことなんですよ」

蔵の構造など、今では昔の建築物にも大きな関心を持つ村松さん。同じ時代に建てられたものでも、職人が違うと全く違うものになると教えてくれた。

「うちのひい爺さんのやつだったら、階段のデザインでなんとなく分かります。町家って狭くて奥が長いんで、階段が一番邪魔になるんですよ。1間で2階まで登るのでかなり急なんですけど、危なくないように丸みをつけてあげたりとか。それがうちのひい爺さんのデザインであり癖ですね」

柔らかな曲線が印象的で、やさしさを感じる村松さんの曾祖父が作った階段。(写真提供:村松さん)

癖を見れば誰が作ったか分かるそうだが、村松さん自身の癖はどこにあるのだろう。
「新しく付け加えることが少ないんですよ。引き算をしていって、居心地を良くしてあげる。外観は古いんですけど、中に入ると何度も改修を繰り返し、クロスやボードなどの新建材で覆われていることが多いんです。そういったものをできるだけ取り去って、本来の家を出したいなって。だからあんまり、僕がデザインしてるっていう気はなくて」

小浜西組の浅間区にあるコワーキングスペース「大師湯」も村松建築のリノベーション。デザイン会社の事務所としても活用されている。(写真提供:村松さん)

町並み協議会では、西組の町家をまとめた本もつくった。補助金は入れていない。全部売れても赤字になってしまう。それでも補助金を受けなかった理由が、後ろのほうのページにあった。板金屋さん、鉄工所、電気屋さん、設備屋さん、建具屋さん、看板屋さん。西組の景観を守っている職人さんたちの名前が、そこに並んでいる。個人の名前を載せたかったから、補助金は使わなかったのだ。

協議会で制作した、西組の町家をまとめた一冊。工事中の写真は、村松さんが撮りためたもの。

ベンガラ格子が、灯るまち。

町家が密集しているから、暮らしはとても近い。隣の家で誰かが階段を上がった音まで聞こえるそうだ。現代では少し敬遠されそうだが、村松さんは別の見方をしていた。

「近くていいっていうのがあって。町家て基本玄関ってガラスの戸が入ってるじゃないですか。ドアじゃないんで、人影が見えるんですよ。ずっとカーテン閉まってたら、何か様子がおかしいなとか。最近ゴミ出ししてないけど大丈夫なのかとか、体調悪くないんかとか。人情なんですよ」

最後に、この地区がこれからどうなっていってほしいかを聞いてみた。

「西組に住むものとしては、あまり観光地化してほしくないという気持ちもあるんです。観光の人があかんっていうんじゃなくて、日本各地には観光地化した重伝建地区がたくさんあります。ただ、あそこに人は住んでますかっていう話なんですよね。夜になると、お店を閉めてみんな別の場所にある家に帰ってしまう。ゴーストタウン化してしまう」

西組は、むしろ逆の悩みを持っている。日中に三丁町を歩いても、誰ともすれ違わない。格子は閉まっていて、空き家かなあと思われる。でも、これはみんな住んでいるから。村松さんたちの小浜西組町並み協議会には、テーマにしている言葉がある。

「『ベンガラ格子が灯るまち』っていうのが、協議会のキャッチコピーなんです。全国の保存地区で、やっぱり人が住んでないところが多かったんです。住みながら守っていけるのが、一番いいのではないか。夜になってもベンガラ格子から明かりが漏れてるってことは、人が住んでるっていうことなんで。みんなが住めるまちにしたいなって」

観光の人に来てほしくないわけではないし、お金も落としてほしいと村松さんは言う。ただ、望んでいるのはこういうお店だそうだ。(写真提供:村松さん)

「観光客に特化したお店じゃなくて、地元の人も楽しめるお店。富裕層しか行けないような高い店より、地元の人がフラッと行ける店が多くできて欲しいと思っています」

すっかり暗くなった西組を歩いてみると、格子の内側に明かりが灯っている家がある。その家を直したのは、たぶん歩いて数分のところに住んでいる人たちだ。
ここを直す人がいて、ここに住む人がいる。だからこの町並みは、見せるためのものではなく、人の気配が灯る町並みになっている。

Information
株式会社村松建築
〒917-0067 福井県小浜市小浜鹿島35
TEL:0770-52-1360
URL:https://muramatsukenchiku.com

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堀越 一孝

堀越 一孝

フォトグラファー。デザイン事務所UMIHICOの代表。

1982年神奈川県川崎市出身、小浜市在住。 小浜の伝統産業である塗箸の老舗「株式会社マツ勘」で商品企画や広報を行いながら、デザイン事務所UMIHICOの代表をしています。 本職は、フォトグラファー。2014年より写真でまちを元気にする新しい写真の方法『ローカルフォト』を核としたプロジェクトで日本各地をぶらぶらしています。

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