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食べ物がおいしいだけではできない『小浜の“食のまちづくり”』のはじまりと今

ここ数年、あらためて「『食のまちづくり』を伝えなければ」と思っていました。
小浜市が、類いまれな食の歴史と独特の発想で「食のまちづくり」を始めて、早いもので20年の年月が経ちます。「継続は力なり」という言葉どおり、確かに「食のまちづくり」で積み重ねてきたことは、私たちの誇りであり大きな力だと思いますが、時の経過とともに、社会や環境、そしてまちを動かす人々の世代が変化する中で、「食のまちづくり」の本質が薄れていないかと心配もしています。
「小浜は食べ物がおいしいまち」ということは、多くの方がご存じだと思います。ただ、私達が取組む「食のまちづくり」とは、「おいしいものでまちをPR」という単純なものではありません。広く深く、そして独創的な「食のまちづくり」の本質や取組みの数々。私はこの食のまちづくりに感銘を受け、開始とほぼ同時期に小浜市に赴任し、一貫して食のまちづくりに携わらせていただいています。その中で得た経験や感動などを、小浜市に暮らす皆さんはもちろん、食のまちづくりに関心を持ってくださる全国の方々など多くの方に伝え、次世代につないでいきたい。その思いで、少しずつですが丁寧に書いていきたいと思っています。

食のまちづくりの中心である「御食国若狭おばま食文化館」も2003年の開業から20年となる

食に豊かな小浜市

福井県の南西部、京都の真北に位置する小浜市は、 日本海側唯一の大規模リアス海岸「若狭湾」の恩恵 を受けて発展した地域です。古代より豊富な海産 物や塩を朝廷に献上した御食国(みけつくに)※1であり、その後の時代も鯖街道※2を通じて「若狭もの」 「若狭の美(うま)しもの」と評される海産物を都へ運び、日本の文化を支えてきました。


現在も豊かな食材とともに、さまざまな郷土料理や行事食、へしこ、なれずしに代表される貴重な加工技術が大切に継承されており、食に欠かせない「箸」についても、伝統的な研ぎ出し技法を用いた若狭塗箸を中心に、塗箸生産量は全国トップという、真に「食に豊かなまち」なのです。

「食のまちづくり」のはじまり

21世紀の幕開けを前に、地方分権の時代を迎え、特色あるまちづくりが求められる中、小浜市は、「もともと持っているものを活かしたまちづくり」にこだわり、御食国や鯖街道の誇れる歴史に裏付けされた食資源こそ、小浜市最大の魅力であるとし、2000年8月、食を核としたまちづくり、いわゆる「食のまちづくり」を開始しました。
翌年(2001年)9月には、全国初となる食をテーマにした条例「小浜市食のまちづくり条例※3を制定。この条例においては、「食」を「食材の生産、加工および流通に始まり、料理、食事に至るまでの 広範な食に関わる様相ならびに食に関連して代々受け継がれてきた物心両面での習俗である食文化および食に関する歴史、伝統をいう」と広く定義。「食のまちづくり」と言っても単に「おいしいものでまちおこし」との発想ではなく、食を核と業や観光の振興、環境保全、食の 安全安心の確保、福祉および健康づくり、食育の推進など、総合的な食の取組みをめざし、それを進めるにあたっての市民や事業者と行政の役割を明確に示したのです。
私達は、食のまちづくりを紹介する際、まずイメージを把握していただくために、以下の図を用いてお話しします。


「私達は、小浜市の様々な食資源を栄養にして大樹を育てています。それが食のまちづくりのイメージです。木の幹には、「食による人づくり」があり、その幹から、産業の振興、環境保全、福祉及び健康の増進、教育及び伝承、観光及び交流、食の安全安心などの枝が伸び、さらに、それぞれの枝に具体的な事業の小枝が伸びていきます。
生き生きと枝が伸びて、花を咲かせているところもあれば、少ししか花が咲いていない枝もあります。市、市民、事業者、御食国大使の皆様など、地域内外の多くの人々の手で、この食のまちづくりの木が大きくなるよう、育てていくのです」
いかがでしょうか。どの枝もぐんぐん伸ばし、たくさんの花を咲かせ、実をつけることで、食のまちづくり条例に掲げた目標、「個性的で表情豊かな小浜市の形成」が実現できると思っています。

私と「食のまちづくり」との出会い

「食を取り巻く環境の急激な変化は、人の身体だけではなく『心』にも変化をもたらしているのではないか」
21世紀が幕開けした頃、大学職員として勤務していた私は、職場で開催された小さな勉強会でこのような上司の発言を聞きました。当時、学生たちと関わる中で、外見的には美しく元気そうに見えても、心に痛みを抱えている若者が多いことに驚き、そのことが気がかりでした。若い世代における「キレル」「ひきこもる」「依存」といった現象が社会問題となり始めた頃です。そのような中で聞いたこの発言は、私に強いインパクトを与え、その頃から「食の在り方と人の心のつながり」について関心を持つようになりました。
また、私自身が子育て中であり、赤ちゃんの口元に私がスプーンで食べ物を近づけると、何の疑いもなく喜んで大きな口を開けて「ぱくっ」と食べる姿が本当に可愛らしく愛おしく、「この子に確かなものを食べさせなければ」といった責任感とともに食育への関心が高まりました。
さらにその頃、日本でもイタリア生まれの「スローライフ」や「スローフード」という言葉が聞かれるようになり、私はそれらに関連する書籍を読む中で、伝統的な食環境を大切にする暮らし方に憧れるようになりました。


そして、私の故郷に近い福井県小浜市において、「スローフード」の理念にも通じる「食のまちづくり」が全国に先駆けて開始され、その中核と位置付けた食育については、行政採用区分に「食育専門職」を設置し、食を総合的にマネジメントする人材を全国公募していることを知りました。
私は、「『食のまちづくり』とは、簡単には理解できないかもしれないけれど、イタリア発の「スローフード」を重んじる考え方に似ているのかもしれない。食育とは、実は栄養学の範囲を超えたもっと大きなもの、食を通じた人づくりなのかもしれない。関わってみたい」と思い、小浜市の公務員採用試験を受験しました。
不思議なほど自分の心の向くままに動き始まった私と小浜市の「食のまちづくり」。全国初の食をテーマとした条例。前例に倣うのではなく、試行錯誤を重ねながら大切に取り組んできた20年は、本当にあっという間でした。

次回は、今までの具体的な事例の紹介と「食のまちづくり」の現在地、未来についてお伝えしたいと思います。

補足
※1 「御食国」とは朝廷に食料を恒常的に献上していた地域のことであり、天皇に贈られた食料は御贄(みにえ)と呼ばれていた。小浜を中心とする若狭地方からは、タイやイガイ、アワビ、イワシなどの海産物や塩を献上しており、そのことを証明する「木簡(荷札)」が、平城京などから出土している。
※2 「鯖街道」とは、若狭おばまから、京都まで続く約 18 里(約 72㎞)の道の総称である。江戸時代以降、若狭湾で水揚げされた 鯖などの海産物は、腐らないように下処理して一塩した後、背中に背負うなどして一昼夜かけて京都に運ばれた。
※3 全国初の食をテーマにした条例。前文では、食というテーマがなぜ小浜市にふさわしいのかを、御食国の歴史から説くとともに、本則全8章33条において、食のまちづくりの基本理念や、具体的な施策に関する規定、まちづくりを進めていく上での、市、市民、事業者等が守るべき原則も設定している。

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中田典子

中田典子

小浜市の食のまちづくりと食育を広げる「小浜市 食のまちづくり政策幹」

2003年4月小浜市政策専門員(食育)に就任し、小浜市の食育全般を担当。以降、食育や食文化を活用した地域の課題解決策の企画・実践に携わる。2008年より総務省「地域創造力アドバイザー」として他自治体や企業、大学などを対象に広域的な活動にも携わる。2015年ミラノ国際博覧会では、イタリア在住の子ども料理教室を企画・実践。小浜市の食のまちづくりや食育事業を国内外に紹介する。近年は、業務の傍ら、「食環境と人の心の関係」を研究テーマとして、大学院博士課程に在籍している。 ----【著書】 『食と農を学ぶ人のために』 2010年世界思想社(共著) / 『五感イキイキ!心と体を育てる食育』 2011年新日本出版社(共著) / 『海とヒトの関係学 日本人が魚を食べ続けるために』2019年西日本出版社(共著)

  1. 食育がまちにもたらすものとは?先進地小浜の取り組みと子ども達の成長(中編:なぜ食育なのか?食育の効果)

  2. 食育がまちにもたらすものとは?先進地小浜の取り組みと子ども達の成長(前編:食育の歴史と小浜でのはじまり)

  3. 20周年を迎えた食のまちの象徴「御食国若狭おばま食文化館」

  4. 食べ物がおいしいだけではできない『小浜の“食のまちづくり”』のはじまりと今

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