前日の夜から唸るような強風が吹き荒れ、朝から暴風雨。一週間天気予報を見ると、不思議とこの日だけが雨。
毎年3月2日、小浜市では『お水送り』が行われる。市民ならもちろん知っているはずの行事だが、なぜ関西に春の訪れを告げる3月12日の奈良県奈良市の「東大寺二月堂」で行われる「お水取り」に先駆けて、小浜の若狭神宮寺を舞台に行われているのかご存知だろうか?
752年、東大寺での大仏開眼供養に先立ち、二月堂で修二会(しゅにえ)という行事が行われた。(修二会とは、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩に、練行衆(れんぎょうしゅう)が人々に代わり罪を懺悔(さんげ)することで、国家の安泰や五穀豊穣など人々の幸福を願う行事のこと)
これは、日本国中の神々を招いて行われたものであったが、若狭の遠敷明神だけが漁に邁進し少し遅れてしまった。奈良に到着したときには行法がはじまっており、その行を見た遠敷明神は、ありがたさに感動した。
そして、御食国として食材の供給に邁進していた遠敷明神は、食の根源でもある聖なる水“お香水”を、毎年3月12日に東大寺の二月堂で行われる修二会に供えることにしたということがこの行事が始まった由来とされている。
“お香水”が注がれる小浜の鵜の瀬から東大寺二月堂の若狭井まで地下を通じて10日ほどかかるとされていることから、お水送りが行われるのは毎年3月2日。
2021年のお水送りは、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、関係者のみでの実施となった。観光の方を含めた松明行列はもちろん、一般の方が見学できないという前代未聞の厳戒態勢。
しかし、会場となる若狭神宮寺に訪れると、例年と同じように神事に向けた準備が地元の方によって整えられていた。松明や大護摩が行われる舞台には丁寧にビニールシートがかけられ、しめ縄と木の柵により、境内には境界が生まれていた。
「この日は毎年雨。不思議だけどいつもそう」と、地元の人は気にしない様子で準備を進める。
日が落ちて周囲が少し暗くなってきた時、参道から法螺貝の音。苔むした低い石垣が美しい真っ直ぐの参道を山伏姿の行者を先頭に白装束の行列。砂利道を下駄が踏む音と法螺貝の音に包まれ、辺りは異様な雰囲気に包まれた。いよいよ修二会が始まる。
神宮寺堂内に白装束の行者や僧侶が入り、耳を澄ます。時折訪れる強い風と雨。
神宮寺の明かりが落ち、達陀(だったん)と呼ばれる行がはじまった。
「えいっ!えいっ!」のかけ声と共に大きな松明を手にした赤装束の僧が登場。燃え盛る松明を右へ左へ振り回す。御堂に燃え移らないのが不思議なほど勢いのある松明の火。堂内を一通り巡ると、その炎は境内に移され大護摩に火が灯された。
檜の葉が積まれた巨大な緑色の山は細かな破裂音を伴いながらあっという間に巨大な火柱となった。結界の中、その炎を囲む白装束の僧。炎が高く舞い上がると、強い風がその炎と戯れるように駆けていく。
今年の中松明は、小浜市立美郷小学校の生徒たちが担ぎに来ていた。去年は新型コロナウイルス感染症の影響で担ぐことができなかった。
修二会の時、最前列で見学していた学生が「こんな目の前で見られるのは一生に一度かもしれないって父さんが言ってたぞ」と、友達と話していた。確かに、一般の方や観光の方が入ることができずに盛り上がりには欠ける「お水送り」かもしれない。ただ、この学生たちにとっては、一生印象に残る思い出になっただろう。自分たちの生まれた地域でこんなにも神秘的で貴重な体験ができるなんて。
真っ暗な山間に点々と松明の火が輝く。右からは木々の擦れ合う音。左からは川の流れる音。
松明行列の最中、星空が見えたり、雨だけではなくみぞれが降ったり、あられが降ったり、強風が駆け抜けたり、なんだか季節のスイッチを切り替えている最中を進むようだった。
鵜の瀬に到着し、神宮寺から運んできた松明の火を大護摩に灯すと、その場にいる全員が火を囲んだ。神宮寺から2kmほどの道を歩き、芯まで冷えた体を火に寄せ、火の温かさを改めて感じているようだった。
白装束の僧たちが川を渡り、真っ暗な中、炎に照らされた対岸には異世界が広がった。
そして、送水文が読み上げられ“お香水”が川に注がれる。
今年は異例づくしだったかもしれないが、いつものように雨が降り、無事に“お香水”は東大寺の二月堂へ奉られ、神約は果たされた。
お水送りによる奈良との深い縁。
鯖街道による京都との深い縁。
昔から都との縁が深い小浜市。これだけ魅力的な歴史文化があり、今も体感することができる。こんなまちが、他にどこにあるだろう。
この古来から続く春を告げる神事と共に、疫病が収まりますように。
修二会の由来、お水送りの意味が大変よくわかりました。素晴らしい記事だと思います。ありがとうございます。