今までのあらすじと登場人物
小浜の郷土料理「へしこ」を、自宅で漬け続けている田中みさをさん。
しょっぱいだけではない、香ばしくジューシーなその味に魅了され、作り方を学びに小浜を訪れた料理人・安田花織。前回、下漬けを教わった安田は、その記憶が残るうちにと東京で仕込みを試みる。そして本漬けを学ぶため、再び小浜へ向かう——。
(前回記事はこちら)

若狭の鯖を探して
「これは神奈川、こっちは千葉、愛媛にノルウェー……うーむ、無い」
小浜でへしこの下漬けを学んだ帰り道、私はスマートフォンで冷凍鯖を探していた。
手の感覚が残っているうちに漬ければ、きっとできる。東京に戻ったらすぐやろう!と意気込んだ私は、どうせなら若狭湾の鯖で、と『若狭湾 鯖』、『へしこ用 鯖』、『福井 鯖』など思いつく限りのワードを入れて検索を重ねた。
けれど、いくら探しても見つからない。
福井県小浜市といえば、鯖街道の起点。若狭湾で大量に水揚げされた鯖が、京都まで運ばれていたことはよく知られている。
大正から昭和にかけて、若狭湾には海面を盛り上がらせるほどの鯖が回遊し、その様子を見た人々が「海がわく(湧く、沸く)」と表現するほどだったと記録にも残っている。
海がわくほどに集まった鯖で、へしこが漬けられ、浜焼き鯖が焼かれ、塩鯖が京へと運ばれていった。
けれど、1970年代に1万3000トンあった漁獲量は、今では200トンを下回る年もあるという。悲しくもその景色は現在見られないものになってしまった(参照:福井県水産試験場HP)。
だからこそ、思う。
食材が減っても、手間がかかっても、それでも漬け続ける人がいるということは、どれほどすごいことか。
しかし、私には分かる、消えない理由が。
あのジューシーで香ばしく、発酵熟成した深い旨味のへしこを知ってしまった以上、漬けない訳にはいかない。産地のこだわりはさっさと捨て、千葉県銚子生まれ東京育ちのへしこを作ることにした。

東京で鯖のへしこを仕込む
家に届いた冷凍鯖を、教わった通り前日から外に出して半解凍にする。
曇天で湿度のある小浜とは違い、東京はからりと晴れている。日本の気候の多様さを改めて感じつつ、このあまりにも違う環境でうまく漬けられるのか不安でしかない。
翌日、台所で下漬けを始める。
頭を落とし、内臓を取り出す。同じ作業でも、小浜では冷たい風の中だったのに、東京では暖かい室内で進んでいく。
その快適さにほっとしながらも、「こんなに楽でいいのだろうか」と、なんだかみさをさんに申し訳ない気持ちになった。

だが、その感覚は長くは続かなかった。
作業を進めるうちに、魚の頭がするりと手から滑って床に落ち、水が思いのほか跳ね、気づけば暖かく閉じられた台所にむわあぁと魚の生臭さが充満していた…臭い。
ああ、そういうことか。
ここで私はようやく、みさをさんが極寒でも外で作業をしていた理由を理解した。
下処理を終え、水気を切った鯖に塩をしていく。
鯖に塩をして、重ねていくうちに少し手が慣れてきた頃、下漬けは完了した。
教わった通り、涼しく風通しのよい場所へ。北側の玄関先に置き、重石をのせる。
これであっていたのか、正解もわからぬまま3週間が過ぎ、本漬けを学びに私は再び小浜へ向かった。

雪を越えて、もう一度小浜へ
本漬けを教えてもらう日は、ニュースになる程の大雪予報となっていた。
下漬けだけで終わるわけにはいかない!本漬けまでしっかり見たい!その一心で一先ず京都まで来ていた私は、諦めきれず調べてみると唯一動いていたルートがあった。京都から湖西線で近江今津へ、そこからバスで小浜へ向かうルートだった。
雪の中を走るバスに揺られながら、地図を見て気づく。
この道は、鯖街道と重なっている。
小浜の暮らし、京の食を支えた食や文化を運んで行き来したかつての人や物、食と文化が行き交った道。
その流れの中に、自分もいるような気がして、気持ちが昂った。
小浜に着いてからの道のりは、さらに厳しかった。
車で行けるところまで行き、その後は雪に覆われた坂道を歩き、ようやく田中さんの家にたどり着いた。

部屋をぽかぽかに暖めて待っていてくれたみさをさんが入れてくれたお茶を啜りながら、挨拶も早々に東京で鯖を漬けたことを報告。「え?ほんとに漬けたの?!今までも漬け方を聞く人はいたけど、本当に漬ける人はいなかったわぁ」と驚きながらも、どこか嬉しそうだった。
3週間しか空いて無いとはいえ再会が嬉しくて、ついあれこれ話をしているうちに雪は弱まり、外に出て本漬けが始まった。
“すえ”という味
下漬けの鯖に、大量の糠、塩、味醂、唐辛子(材料や割合は、家や地域によって違うそうだ)。そして桶の中には、濁った液体。

「これはなぁ、“すえ”って言うてな、絶対捨てちゃあかんの。後で使うからね」と、へしこ仕込みでは欠かせない重要な汁であることを教えてくれた。これは正解を知っておかねばと味見を申し出ると、居合わせたみんなに「えーーっ!?(マジで?)」とリアクションされた。
生魚から出た汁を舐めたがるやばい人の目で見られ、「大事だっていうからー!」と心の中で叫びつつも、しっかりと味をみさせてもう。
“すえ”の味は味も香りもまだ若い魚の香りがする薄口醤油のような味わい。思ったより美味しい。みさをさんが手間をかけて下処理された魚だからこそ、生まれる味だった。

作る順序としては、まず糠に塩と味醂を混ぜる。そして、下漬けした鯖に調味料を混ぜた糠をのせる。さらに、昆布と虫除けとなる唐辛子を重ね、半分に折り、また糠をまぶす。これを繰り返していく。
ただ繰り返せば良いわけでもなく、重石の圧が均等にかかるよう半分に折る時身をずらして厚みを整えたり、鯖の入れる向きを変えていく。キビキビと迷いなく動くみさをさんの手を、私の手は追いかけることで精一杯だった。


作業の合間、みさをさんの言葉で印象的なことがあった。
「ここらは魚って、ないやろ。漁師じゃないから」
え!?小浜は魚の産地じゃないですか?海もすぐだし!と言いかけて、とっさにここまでの雪道を思い出し言葉を飲み込んだ。山ひとつ越えるだけで、暮らしは変わる。みさをさんの地域では、魚は買うもの。米と交換することもあったという。
あるものと、ないものをつなぐもの
私は勝手に『へしこ』とは、海の幸が豊富でお米も取れる小浜市の有るものを合わせた保存食だと思っていた。しかし、今は目と鼻の先にあるように感じられても、山を越えれば、川を挟めば、悪天候になれば、遠くなる。
同じ地域と勝手に括っていたがそうではなかった。環境が異なれば、生業も異なり、有るもの無いものがある。
へしこは、ただの保存食ではなかった。
「あるもの」と「ないもの」をつなぐ知恵だった。

今回の旅は、悪天候のお陰で見えなかった物が見えた。やはり、一つの土地には何度も行ってこそ、見えてなかったものが浮かび上がってくるものだ。

東京に戻り、桶を開ける。
みさをさんの家で嗅いだ、あの香りが立ち上る。
私は頭の記憶は曖昧になりやすいが、舌の記憶や香りは残すことは得意で、この香りと上がった“すえ”の味を見て、うまくいっている、と分かった。
みさをさんに分けてもらった材料でさっそく本漬けを終えた。あとは待つだけである。
ちなみに、今回のお礼に、みさをさんと一緒にキムチを仕込んだ。
米と魚の交換ではないが、お互いの知恵を交換してそれぞれの食卓に同じ味が上がる事に幸せを感じた。
それは、へしこを教わった事、キムチをお伝えして喜んでもらえた事、そして、みさをさんやUMIHICOのお二人、そして小浜という素晴らしい土地との縁が出来た事、全てが嬉しかったからだ。


この記事を書いていたら鯖が届いた。今年は部屋の窓を全開にして漬けようと思う。

安田花織
在日韓国人の祖母と農家の日本の母の味、2つの豊かな食文化に触れながら育つ。
高校卒業後、懐石料理店、オーガニックコミュニティカフェなどを経て独立。土地に根ざした食文化を学びに各地に足を運ぶかたわら、各地で出会った食材や見聞きした先人達の知恵を暮らしに落とし込む料理教室や食のイベントを開催中。「ヤスダ屋」主宰

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