小浜市津島区に衣類などの修理をする「お直しこま」というお店がある。
小浜郵便局から川崎の魚市場に向かう途中、車ですれ違うのがやっとな旧道を進むと「こま」という看板を見つけた。
店主の渡邉律子さん。元々は東京でお直しのお店をしていたが、2年前にお母さんのお世話をするために故郷の小浜に戻ってきた。お店に入るとすぐ、3畳ほどの律子さんの作業スペースが見える。
「東京の頃に比べたらゆったりと営業させてもらっているけれど、その分1つ1つしっかりさせてもらっているかな。」
オフィス街の近くにあった東京の店舗は、サラリーマンから急な要望をされることもあったそう。
律子さんが衣服に関わる人になるきっかけは、高校生の頃に出会った小浜市内の呉服屋さん。反物を裁っている様子に惹かれたのだという。
「どこに行ったら(裁断の)勉強できるか聞いたけど、とても厳しい場所だからやめておけと全然教えてくれなくて」
何回も通ってやっとのことで、大阪の和裁所だと教えてもらい通うことに。その時は、とにかく小浜から離れたくて、和裁所ならお金をもらいながら技術を習得できると考えたそう。
和裁所では毎日8時間、手だけで着物を縫った。百貨店お抱えの和裁所で、嫁入り道具の着物からお相撲さんの着物、何千万もする着物まで仕立てた。
「和裁所を修了した時は、もう二度と針と糸は持たないぞ!と思った。一生分縫ったから。それで和裁とは関係の無い会社で13年働いたんだけど、もう一度勉強してみたいと思ったの。なんで着物を着なくなってしまったのだろうって。」
それから律子さんは東京の服飾学校へ。
実際に洋服の世界も知ると、和服と洋服では考え方が根本的に違うことに驚いたそう。それから和服から洋服へと変わっていく時代の流れには抗えないものなんだと知った。服は生活の道具だから、生活にあったスタイルに変わっていく。
「衣服を変えるタイミングって、世界的に見ても一緒なの。戦争の後と、疫病の後。服は生活するものだから。このマスクも、前は考えられなかったよね。でも当たり前になってる。」
服を通して、律子さんは世界を知った。和洋どちらも変わらないのは、服が生活を映し、生活の道具であること。
小浜では祭の浴衣の直しも頼まれることもある。祭の文化が色濃く残る小浜ならでは。もちろんシャツの袖直しやズボンの裾直しも。
しゃがんだ時に邪魔にならない場所にポケットが欲しい、などのオーダーもある。衣服を通して、人の生活が垣間見える。
「着なくなってしまった着物を、二枚に仕立て直して着やすくもできるよ。」
タンスに眠らせるのではなく、もっと着るものに。
より快適なものに仕立て直す、お直しのお仕事。
服は着るもの、生活の道具。
律子さんは今日も針と糸で手で人の暮らしを支えている。
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