小浜駅のはまかぜ通り商店街の一角、ひときわ目立つこの店はおもちゃ屋“ピノキオ”。昭和45年(1970年)に創業し、親子2代でこの店を営んできた。
「この店にはね、ほんとに小さな、幼稚園くらいだったかな…たぶん年長さんぐらいの子が、わざわざ橋を渡って来てくれたこともあったんだよね。今でもその子はここに通いに来ているよ。」と、店主の藤田駿介さんは嬉しそうに話してくれた。
そんな藤田さんが営むこの店は今年で創業51年になる。レトロな店内にはレゴやシルバニア、トミカ、スーパーボール、カードゲームなど懐かしのおもちゃがずらりと並んでいる。
小さな頃お店に来ていた子どもが成長し、その子が親になり、自分の子どもを連れてくることも少なくないそうだ。
店名の由来を聞いてみると、店主のお母さんが“童話ピノキオ”から名付けてくれたそうだ。店内に入るとすぐ横の棚にピノキオの人形が飾られている。
この人形は、ピノキオ人形の本場であるイタリアに夫婦で行ったときに購入したものだそうだ。彼はいつも店の入り口でおもちゃ屋“ピノキオ”を見守っている。
「子どもから大人まで幅広い年代の方々が来てくれています。親子で来るのはもちろん、ミニ四駆やトミカなどの廃盤品も売っているからそのようなお宝商品を求めて買いに来るコレクターやマニアも少なくないです。最近では猿や鹿などの獣害対策として使用するエアガンなど農業関係者のお客さんも多いですね。」
地元の人はもちろん、さまざまな人たちがお店に訪れるようだ。
お店には2階のスペースもあり、入口に貼ってあったベイブレードの大会について尋ねてみた。
「昔はよくやっていたね。月に3回までに抑えてくれと運営委員会から言われたけど、多い時には毎週やっていたかな。100人ぐらい参加した時もあったんだよ。滋賀、敦賀、福井、金沢、遠いところだと富山から来てくれたお客さんもいたね。ベイブレード以外にもデュエルマスターズ、ポケモン、遊戯王、バトルスピリッツなどのカードゲームの大会もよくやってました。ここ1年はコロナの影響もあって何も開催できてないからとても寂しい。」
藤田さんは次々と大会のエピソードを楽しそうに語ってくれた。その時に見せてくれた過去大会の参加者名簿やトーナメント表は、どれも書き込みが縦横無尽に施されており、それらを見ただけで当時の白熱した雰囲気が伝わってくるようだった。
本当に楽しそうにお店のお話をしてくれる藤田さん。おもちゃ屋が少なくなっている今、仕事のやりがいについても尋ねてみた。
「小さいころによく来てくれていたお客さんが親になって子どもを連れてきてくれる時かな。懐かしい思い出話をすると、うちの店は愛されているなぁって実感するよ。親子2代、3代に渡って長い間ずっとお客さんとつながりが持てる、そんなところがおもちゃ屋としての自慢だしやりがいを感じるね。それと、うちはおもちゃの病院もやっていてね、お客さんの思い出のオルゴールを修理させてもらった時は涙を流して喜んでもらえて。とても嬉しかったし誇りに思えたよ。」
“ピノキオ”には他の店では感じられない、どこか懐かしい不思議なアットホーム感が漂っている。
店主の藤田夫妻の温かい雰囲気、童心をくすぐるお店のレイアウト・商品の配置など、それら何層もの魅力が相まってこのお店は地域住民の憩いの場となっている。
「気楽に立ち寄れてみんなから愛されるような“地域のおもちゃ屋さん”をこれからも目指していきたい。そしてこのはまかぜ通り商店街をもっと盛り上げていきたいね。」
藤田さんは、将来の展望を明るく語ってくれた。
一貫して、どんな質問に対しても分かりやすく表情豊かに優しく対応してくれる藤田夫妻。聞けば聞くほど “おもちゃ屋ピノキオ”の魅力に引き込まれてしまった。そんな藤田夫妻は今日もはまかぜ通り商店街の一角でおもちゃ屋を営んでいる。
取材:福井県立大学 惟村晴太郎 澤川北 武藤響子
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