稲穂の揺れる田園風景の中、一部が鮮やかな黄色に輝いている。近くに行ってみると、凛とした姿の美しいたくさんのひまわりが咲き誇っていた。
ここは、小浜の夏の風物詩ともなっている「宮川ひまわり畑」。
今回は、この“ひまわり”にまつわる物語を紡ぐ人たちに会いに行ってきた。
“ひまわり”というプライド
「実は、この“ひまわり”が生まれたのは、偶然だったんですよ」宮川グリーンネットワーク代表の竹中忠さんは夏の強い日差しの中、汗を拭いながら話してくれた。「宮川のひまわり畑は、平成17年に始まりました。その始まりは、平成14年に開設された特別養護老人ホーム「ひまわり荘」に入る人たちの癒しになればと思って、施設名の『ひまわり』を目の前の田んぼに植えてみたこと。要は偶然なんです」。田園地帯の中心にある「ひまわり荘」。ひまわり畑のイメージが強い宮川地区だから、そこから付けられた名前だと思っていたが実は逆だった。
「次の年、その田んぼでお米を植えたら、肥料なしで美味しく育ったんです。それが株式会社『若狭の恵』で栽培している『ひまわり米』のきっかけ。だから、これも偶然の産物」と、竹中さんが笑うと、そばで草刈機を操作していた「若狭の恵」代表の前野恭慶さんも作業を止めて話をしてくれた。
「ひまわりをやめるわけにはいきません。もちろん『ひまわり米』をつくるためというのもあるけれど、今では遠くからこのひまわり畑を楽しみに訪れてくれる人がいますから。でも、一番は地元の人に迷惑をかけずに楽しんでもらうことだと思っています。そのために、毎年どこに植えたら宮川のひまわりを楽しんで周遊してもらえるか、車を十分に停めることができるかと考えています。今年は初めての試みとして、旧宮川小学校の方にもひまわりを植えたんです。学校に車を止めることができるし、地元の人も学校の周りが盛り上がるのはきっと嬉しいでしょ。トイレも使えるし」と、軽快に話す前野さんの言葉に、去年閉校となった小学校が地域の新たなチャンスになるのではないかと期待せずにはいられない。
太鼓がつなぐ地域の絆
真っ暗な道を走っていると旧宮川小学校から勇ましい太鼓の音が聞こえる。明かりの灯る教室の扉を開けると若者が力強く太鼓を叩いていた。
「宮川に生まれたら、小さな頃から太鼓を習うんです。だから、みんな太鼓が叩けるんですよ」そう話してくれたのは、竹中裕一さん。「私たちは、去年『華鼓宮(ハナツヅミ)』という名前の太鼓チームを結成して活動しています。名前は『花の里 宮川』と太鼓を掛け合わせて作りました。めちゃくちゃ悩みましたが、宮川らしいチームを表現しようと思ったら“華”は欠かせないなって」。名前を聞いただけで、地域への思いが強いことが分かる。シンボルマークは、もちろんひまわりだ。
「去年この小学校も閉校になって、同級生も都会に出て行ったりするから、地元に残っているメンバーだけでも地域を盛り上げることが何かできないかと思って。ここで練習していますけど、閉校するから結成したのではなくて、偶然時期が重なったんですよ」と楢木健介さんは教えてくれた。
「これから、もっと子どもたちが減っていくかもしれません。その時に各地域バラバラに太鼓をやっていたらこの伝統がなくなってしまうかもしれない。だから、ひとつに集まることで、宮川の伝統として子どもたちに引き継いでいきたい。今でも、太鼓のためだけに帰省してくる友人もいます。太鼓があれば、みんなで集まることができるんです。7月の中頃から8月の虫送りまでの期間、毎晩子どもは太鼓を叩き、大人はお酒。そうやって集まる時間がすごく楽しいんです」と、竹中さんは太鼓のバチを手に話してくれた。
「ひまわり荘」というひとつの施設がきっかけとなり、地元住民の共同活動によって今では「花の里」と呼ばれるようになった宮川。偶然というチャンスを逃さず“ひまわり”というブランドを生み、地域の誇りを自分たちで作り出した。その誇りは次の世代にも確実につながり、その世代も次の世代のことを考えて活動をしている。「宮川の人はノリで動いてしまう人が多いんです。思いついたら、やってまえ!みたいな」と、華鼓宮の清水誠士さんは笑って話してくれたが、その行動力にいくつもの偶然を重ね、これからも宮川らしい地域の活性化活動が行われるに違いない。
ここに、小浜をまもる風景がある。
次回は、『勢浜地域農地保全委員会』。お楽しみに!
小浜の風景をまもる人や活動を伝えるパブリックマガジン『小浜をまもる風景』は、小浜市内の各公民館または、小浜市役所2階の農林水産課前で配布しています。このWebバージョンとは違う写真も掲載しておりますので、是非お手にとってご覧ください。
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